私が、『自分がとても喜んでいる』と感じるとき
それは自分のイメージを形にして見せてあげたときです。
イメージが浮かんでも、身体とは別だから、私がそれをつなげて手足を動かし作って見せてあげる。
そうすると、『天才!』と思う。
大げさだけど、しみじみ、何度も天才だなって思う。
そして、私の世界にはいつもいつも天才がいっぱいいたし、今も天才だらけです。
最近、洋書のサビアンシンボル の本をせっせと訳しながら読んでますが、
ここでもたくさん『天才』や『才能』と言う言葉がたくさん出てくる。
つまり、星の度数ごとの特徴そのものが『天の才能』なのであり、
私たちはそれをいかにスムーズに放つか、
そして、その放ち方を磨き、自分なりの知恵(頭脳)を使うかということなのだと思う。
そんなふうに、全員が『天才』で『才能』のタネを持っているという真実。
タネというか、天の才との接続というのか?ただ素直に動くだけなのだと思うのですが・・笑
でも、自分自身がいつもそうだけど、実際に形にしたときにしか天才サインは鳴らない。
その形にしたものは、一体なんの役に立つのかわからないし、効率も悪い、色々気にせずダイナミックに動いてしまうので一見無駄も多い。
でもそんなのそっちのけで取り組む、ただできたものを見たいからというだけで。
で、取り組んでる途中で思うんです。
「なんて気持ちがいいんだろう」って。
自分の中の何も、その行為を止めない。自分の中の全てが黙ってるし、なんならポンポン振って応援してるように感じる。
そしてだいたい疲れ果てて寝る。
純粋な意志やひらめきを、そのまま身体に直通させ、疲れ果てて寝る。
これが大人になってもあるんだなと思って、なんだか泣けてくる。
感動というのでなくて、どちらかというと悲しさなんですよね、
大人をなんだと思ってんだと、自分に言いたくなる。
ちなみにこの『天才』サインが鳴るときは二種類あって、
自分の細胞が知ってたよってパターンと、チャレンジです。
『天才』サインの音色が違うので、気がつくことができます。
どっちをよりやるとよりいいかはホロスコープもヒントにしてみると面白い。
チャレンジの方は、どの段階も初めてでだいたい苦しいですが、それをやるための星の配置になってたりして、その用意周到ぶりに笑えてきます。
この完璧さ!
ユリイカ!
やっぱり人は皆、天才でございます。
それを面白がりすぎて、絞りが効かないのが、トホホ・・・な私の人生ではありますが、
その辺の折り合いのつけ方に大発見もあった最近です。
『やりたいことがいっぱいありすぎて、こまっちゃうのよね』
な方と、ぜひお話ししてみたいと思っております😋
KIN♡