ホシノテント

Light My Fire

『星は優しいか?』

 

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『星は優しいか?』

 

これは私が、占星術というものを知れば知るほど湧いてくる疑問。

どうしてこのような疑問が湧いてくるかというと、今はネットなどでもたくさんの星情報を見ることができますが、中にはとても耳障りの良いキャッチコピーも多かったりする。(これは星情報だけではなく、様々な情報にも言えるかもしれません)

時代に合わせ、たくさんの方に興味を持っていただくためのキャッチコピーと考えればそのような表現になるのもとても良くわかるのですが、

しかし、私が理解を進める上で事実はどうもそう簡単じゃないぞと思うのです。

 

今の時代に必要なのかもしれないけれど

『ありのままでいい』といった言葉なんかも、私たちはつい、楽なように切り取って認識してしまうことがある。

しかしよくよく考えてみたら、こんなにたくさんの違う人間、違う意識がある中で、ありのままで在ろうとすると

『結構痛い!』

『なかなかに辛い!』

ものではないでしょうかね?

 

ちっとも痛みを感じず、ただただ楽チンで心地よいだけなのなら、それは『ありのままとはちょっと違う』と私は思うのです。

自分そのままを、本当にそのまま直視したり、貫くということは苦しみもある

ホロスコープのアングルだって、自分を表すAC、パートナー・他者を表すDCは真逆に位置し、自分の安心できる居場所のICと社会の中で到達する場所を表すMCも真逆。

社会の中で自分のありのままの素材を活かすには、それを社会に通用する形へと磨いたり、そしてそれを活かせる環境を作っていく力を発揮しなくてはならないので、なかなかのガッツが必要ですよね。

社会に出ず、引きこもり状態の『ありのまま』は可能かもしれませんが、それはそれで、活躍できないサインの性質や天体が出てきて、『生かせ生かせ』と、自分の内部から苦しみがやってくるという不思議。

 

そんなわけで、違和感を感じる『甘いコトバ』への疑問。

そしてその受け取り方注意報をじわじわと感じたりしています。

(もともとただの言葉を『甘いコトバ』にするのは受け取り側とのコラボですもんね)

 

なんだか甘いコトバになってしまうのは、きっと単純に、多くの人々の欲望をつつくビジネスであったり、はたまた現実や肉体という範囲だけではなく、もっと高ーい全体を見渡せる場所だけを切り取ったことを言っているからなのではなかろうか。(スピ系は特に)

これ自体は特に問題ない(存在してもいい)のですが、欲望というのは、『今ここ』とは最も遠く、高い位置に立つにはそれを支える階層と強靭な土台あってのことだということを理解しておかないと、お金も時間も、自分の大切なものも、どこぞの誰かの宇宙ブラックホールに飲み込まれていってしまうこともあるような!笑

星のことも、自然のことも、一見、優しげな世界に見えたりしますが、実際には厳粛な仕組みの世界と共にあり、なかなかにハードなのが真実。

私がいつも星から教わることは、結構厳しいことだったりするという現実であります。

『わー、なんて慈悲深い。。』と思っても、他の角度から見たら

『なんという恐ろしさ!』だったりするのです。

そうやってできる限りグルグルといろんな角度から見て考えてみると、より良く活かせるのではないかと思うのですが。。

私たちにとって、『自然現象』という恵みが、時には災害にもなるように、実際は常に危険や厳しさも含まれているように感じます。

  

 そう言えば子供の頃、親戚の大人たちや母に『お天道様は全部見てるからね』と言われたことを思い出すなぁ。

 どちらかというと、『悪いことしないように』という思いが込められた言葉だった。 

その言葉とイメージは、私の中にしっかり染み込んでいて、今でもそのように星のことを考えるし、

ホロスコープを読んでいても、星のエネルギーの『現れ方』は、『自分にそっくり!』であります!という認識です。

同じような星の配置でもその作用の現れ方は、その人の有り様に準ずる。

そして物事には表面だけでなく、奥行きがあり、そして立体的にどこまでも繋がっている。

 こういった形で人生というものを認識していくと、そう簡単に『引き寄せ!』とか『ラッキー!』とか言っていられないのです。

全体を見たら、必ず『バランス』というものが働いている世界だと思うからです。

 

そんなわけで、私に疑問を投げかける様々な『甘いコトバ』は、魚座海王星の管轄である『精神的な救い』『夢と希望』色を強く感じるからなのであり、リアルから離れ、そこで一時期休息したなら必ず帰ってこなくてはなりませぬ!と思います。

ただ粛々と、己を観察し、どんな意志を持ってどのように在るか。そこを自分で考え、決定し、チャレンジしていくしかない。

そのどっしりとした体験が現実を変え、最も自分の身を助けることになるのですよね。

(↑矛盾するようですが 、この『精神的な救い』をドンピシャで受け取れたときの回復パワーの凄さと、自分の魂的な喜びに沿っているという実感を得ることの身の軽さは、なんども体験&実感しています。しかしこれらは、他者からもらうことを求めれば求めるほど遠く、金もかかると言いたい)

 

というわけで、、

色々考えて見たところで

『星が優しいかどうか?それはあんた次第よ。』

と自分に言われてしまうわけですが・・占星学を学ぶ人間として、肝に命じておこうと思います。

ハイ!!

 

そして、以前友人とエンタメ的に行った占いで、

『だいぶドリーミーだね』と占い師にクスクス笑われたお花畑脳の私は、

今では

『宇宙はとても厳粛だ』

という、私的な占星術のキャッチコピーを持っております^^

(変わるもんですね!笑 そのころの自覚としては、特に夢見がちだと自覚していませんでしたが、自分でホロスコープ見て『なるほど』と認識しました。理想が過ぎるという意味で夢見がちだと思う。幸いだったのは、理想と現実の狭間で自分の脳内が苦悩していただけで、幸せ作りをする事に対し、何かに頼るというつもりがなかったことです。自分でやらないと気が済まない!うまくできてる・・笑)

 

スピリチュアル的な『占星術』をやればやるほど、自分が地に降りてくる。

これが占いというものの、本来の役割か?!と実体験しています 。